2021/01/31 23:22



第三十七回「臨池洗墨」

【所感】
池の金魚はきっと思う

毎日夕方にあの方は

硯を洗いにここへ来る

広い池のいつもの場所

あっという間に漆黒の

雨降るときより暗黒の

雲の様なその色は

鱗の中まで染み込んで

深くて妙な静寂を

夕暮れの池に投げ掛ける

斜陽の朱と混じりあい

やがて沈んで消えて行く

#8時だよ全印集合

(ブログ限定の続き)

僕は故事の詳細を知らないけれども、きっと硯を洗うのは夕方だと思ったのでした。そして、福州からの金魚鈕の印材はどうしてもその情景を想像し妄想するに十分な魅力が有ったのです。池の金魚はきっと思ったに違いない。

昨夜、妙な疲労感から鉄筆を持つことを放擲した私は温泉の事を調べたりして時間を過ごしました。また、ここ最近三月末を予定している社中展をどうするのかを話し合う会議が何度もあり、その連絡などをする雑務が有ったのも原因かと思いました。

依頼印は昨日は2つ仕上がりました。20以上の御待ちいただいている依頼は少し減るとまた頂き、なかなかプレッシャーを感じています。しかしながら、良いものをお送りするためにもここはじっくりと取り組みたいと考えてます。思考は大事だが、手を動かさねば形とならないのです。しかし、僕は留学時代から全く変わってない考えが有って、それは篆刻には「思想」が大事だというものです。技巧だけでない、その人間の思想が入った作品を作ろうと願うものです。

若気の至りで20代半ばの僕は留学仲間に上記の事を演説し、茶化されて恥ずかしくなってしまったのを思い出しています。2006年の杭州の美術学院の教室で。きっとこのブログなんか読んでないでしょうが、あの仲間は青春を共に過ごした大切な人です。あれから早くも15年の歳月が経過しました。